表紙



槍の重み





 小さな影が息を潜めるように、そっと部屋に滑り込んできた。家人の気配がないことを注意深く確認する。音をたてぬよう気を配りながら、ゆっくりと扉を閉めた。石造りの室内には、二本の槍が交差して壁にかけてあった。その様子は、玉座に鎮座する、荘厳な王者を思わせた。
 影の主である少年は青い髪をゆらし、その年頃特有の熱っぽい瞳でしばらく眺めてから、それに引き寄せられるように手を伸ばした。槍の柄のひやりと冷たい感触を感じ、目を細める。それから、慎重に止め具から槍をはずした。存外の重さに、少年は思わずよろめいた。体勢を立て直すと、自らの手にあるものを、じっと見つめた。手には確かな重みがある。
 それは、彼の父の姿を思い起こさせた。父の手にかかれば、槍は意のままに操られ、鮮やかに宙を切る。
 しかし、今、少年の手にあるものは、ただ長いだけの道具に過ぎない。手のなかの重みに、自分の無力さを思い知らされたようで、少年は胸に微かな苦みを覚えた。

 少年は、やがて青年になった。国の騎士団に所属した彼は、身体も成長し、片手でも軽々と槍を振るえるようになっていた。戦場においても、青年の周りには、敵兵の死体の山が累々と築かれた。
 青年は、戦場を駆け抜ける。彼を支配していたのは、若さゆえの情熱、そして気負いと焦りであった。上官も彼の働きを上機嫌で褒めた。しかし、青年は血に塗れた自らの手を見つめ、少年の頃と変らぬ胸の疼きがあることを知った。

 時は流れ、青年は父と呼ばれるようになった。
 まだ幼い主君と娘が訓練用の槍を手に、彼に槍術の手ほどきを受けていた。子供たちがそう望んだのだ。
 彼は基礎の型から、ひとつずつ丁寧に教えたが、訓練用に軽量化された槍であっても、幼い子供にはまだ扱いづらいようだった。よろめく身体をもてあましながらも、懸命に学ぼうとする姿に、彼は自分自身の過去を重ねた。厳しくも充実した授業の休憩時間、小さな王子は、汗だくになりながら言った。
「槍って、思っていたよりもずっと重いんだな。フィンが小枝みたいに振り回していたから、もっと軽いかと思っていたのに」
 彼はただ黙って穏やかに微笑むだけであった。
 槍の重みは以前よりもずっと増していた。しかし、その重さは不思議と心地よいと、楽しげに笑いあう子供たちを見つめながら感じていた。




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