表紙



光は天より





 太陽がそのやわらかな光の恩恵を、全ての生あるものとそうでないものに平等に与える時間、軍の駐屯地では、同じように穏やかな休息が兵の心と身体を癒していた。
 痩身の少女が野外でひとり、大地にどっしりと鎮座する石の上に腰かけていた。それは、まるであつらえたかのように彼女の背丈に合った、最高の椅子だった。まめで固くなった指で、小さなひざの上に置かれた本の、古びた羊皮紙に書かれた文字をなぞる。瞳は紙上に、心は未知の世界へとむけられていた。小鳥の軽やかなさえずりも、このときの彼女の耳には届かなかった。
「え……と……光はで……違う。これなんて読めばいいんだろう」
「光は天より、だよ、ニノちゃん」
「カナスさん!」
 ニノは喜びに声をおどらせ、自分を覗き込む長身の男に視線をうつす。逆光によってその姿には影が落ちていたけれども、人の良さそうな表情にせんと変わりはなかった。
「ずいぶん難しい本も読めるようになったんだね」
「うん、本を読むのってすっごく楽しいね」
「それはよかった」
 カナスはいいながら目を細めた。
「その本の冒頭の部分は有名な言葉なんだよ」
「光は天より、の続きは……こ……た……やっぱり読めないや」
「光は天より、理は外より、闇は内より出ず」
 ニノはきょとんとカナスを見あげた。
「どういう意味?」
「ええと、そうだなあ……じゃあまず、この本に書いてあることを簡単にまとめてみよう。修道士の使う光魔法は、聖女エリミーヌへの祈りによって形をなすんだ。つまり、極めて純粋な思いの強さに聖女が呼応してくれるというわけだね」
「こおう?」
「呼びかけに応えてくれるということだよ。もちろんそれだけでなくて、使うにはある程度の修行は必要だし、その思いの強さがよい方向へ向けられているとは限らないけど。それで、次はニノちゃんや僕の奥さんが得意とする自然魔法」
「うん」
「自然魔法…理魔法を操るには、自然を、世界の理をそのまま受けいれるしなやかさが大切だといわれている。柔軟さ、とも言い換えられるかも知れないね。理魔法にもきちんとした理論式があるけど、使うにはその人の天性の感覚が結構重要なんだよ。だから、ニノちゃんが書物から呪文をえることなしに魔法を使えるのも、その特性に関係するんじゃないかな」
「そうなんだ……」
「最後に闇魔法。古代魔法とも呼ばれるね。これは」
 一瞬、カナスの瞳が曇る。空気が、闇の気配にわずかにざわめく。闇は昼の光のもとにも確かに存在している。ただ、姿を表さないだけだ。ニノは寒気を覚え、自分の腕を抱いた。
「自分のなかに闇を取りこんで、それを支配する、という感覚がぴったりくるかな。だから、闇魔法を行使するには、自分の心のなかにゆらぐ闇を真摯な瞳で見つめることが求められる……と本の著者は記している」
 言い終えたカナスの表情から陰りがすっかり消えたのを感じて、ニノは小さく安堵の息をついた。
「それで、話は最初にもどるけど、今言ったことを簡潔にまとめたのが、はじめのあの言葉なんだ」
 ニノはゆっくりと繰り返した。
「光は天より、理は外より、闇は内より出ず」
「そう、真理って言葉にすると案外単純なのかもしれないね。……あ」
「カナスさん、どうしたの」
「なんだか僕ばっかり話してしまった。申し訳ない。話がくどいって母からもよく怒られるんだ」
 ニノは笑って首を振った。
「ううん! カナスさんのお話、とっても面白いから平気だよ」
「それは良かった」
「カナスさんっていろいろなこと知ってるんだね。すごい」
「そうかな?」
 緑がかった髪をゆらし、力をこめて頷く。
「うん、すごいよ!」
 カナスは苦笑した。
「でも、学べば学ぶほど知りたいという欲に際限がなくなってしまってね。真理まで到達するには、人間の命はまったく短すぎる」
「短い……かな?」
「ああ。もう少し若いころはそういう風に思いつめて焦ったりもしたんだけど」
 カナスはここで言葉をきり、照れくさそうに頬を赤らめて微笑んだ。
「奥さんと出合って、結婚して、子どもが生まれて……生まれたばっかりの子どもをこわごわ抱いて……本当に怖かったんだ。力を入れたら簡単に壊れてしまいそうで。腕に頼りない柔らかさと、軽いけれどはっきりと重さを感じたとき、ああ、今なら死んでもいい! と思ったんだ」
 ニノはその様子を見て、にっこりと笑った。
「カナスさんみたいな人ががお父さんなら、その子はきっと幸せだね。……でも」
 本を脇にすくっと立ち上がり、背伸びしてカナスの鼻先に指を突きつけた。
「それなら、なおのこと家にいてあげなくちゃ! 忘れられちゃうよ!」
 カナスは声の強さと勢いに、一歩あとずさった。そして頬を軽くかいて目をふせた。
「め、面目ない……」




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