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老い木に花の咲かんが如し





 夜の闇をかき消すように、宴の灯りは燃え続ける。ひとつ消えては、またひとつ、今宵フェレの地に火の絶えることはない。静かなふたつの影が、宴の喧騒から逃れるようにして、露台からその様子見下ろしていた。
 それまで黙って領地を注視していたマーカスが、だしぬけに口を開いた。
「竜と人との戦い……この一戦が終わったら、前線から身を引こうと、以前から考えておりました」
 それを聞いたマリナスは、目をぱちくりとさせて、
「やや、マーカス殿、それは」
「私も老いましたゆえ」
 マリナスは慌ててそれを否定した。
「いやいや何を仰いますか。マーカス殿程の技量であれば、まだまだ現役で活躍できますぞ!」
 マーカスは、記憶のひとつひとつを噛み締めるように、言葉を選んだ。
「マリナス殿、人にはそれぞれの役割というものがあります」
「役割、ですかな」
 その言葉に応えて、マーカスは静かにうなずいた。
「私はもはや若い時分のように槍は振るえません。しかしそれから目を逸らして、知らぬ振りそすることもまた、できないのです。あの木のようには」
 マリナスは露台の柵から身を乗り出し、マーカスの視線の先を追った。常ならば闇におおわれている時分であったが、このときは、城の庭園の眠れる木々も、光の元にすっかり照らし出されていた。
 さらに目を凝らすと、庭園の隅に、二本の木が絡み合うように立っているのが目に入った。老木が年若い木の幹全体を覆って、しがみつくように蔦を這わせている。老いた木の力は、一見してわかるほどか細いものではあったが、若木の成長を妨げるには十分だった。若木は、それでもなお光と水とを求めて、枝を苦しげによじらせていた。
「老いた木が、若木の成長を妨げるようなことは、あってはならないのです。そして、老い木には老い木の、花の咲かせ方があるというもの。その見極めを誤ることは避けたい」
「そういうものですかな」
 マーカスはうなずいた。
「そういうものです」
 きっぱりと言い切ると、マーカスの声と表情がふっと和らいだ。
「そういえば、酒を飲むのも随分久方ぶりです」
「いやいや、マーカス殿。そう仰いますが、なかなかの強さとお見受けしましたぞ」
「今までは、戦いの空気に酔うので十分でしたから」
「マーカス殿」
「しかし、こうして、酒に酔えるのも、よいものですな」
「まったくです。そうだ、つまみにひとついかがですかな、マリナス堂の焼き菓子です。マーカス殿のご意見を取り入れて改良してみたのですが」
「ふむ」
「どうですかな?」
「りんごの甘味を生かした風味……生地との一体感……エトルリアでも、これほどの銘菓には出会えますまい」
「おお、それは嬉しいお言葉!」
 若者のように激しく騒ぎ立てるようなことはなかったけれど、慎ましやかに、しかし愉快に酒を減らしていると、マリナスがほどよく酒に酔ってうっとりした風に、
「こうして、祭りの明かりを眺め、うまいものを食べ、友と杯を交わす。これ以上の幸福をわしは知りませんぞ」
 それを聞き、マーカスはゆっくりと目を細めた。その奥には、祭りの灯火が在りし日の残照のように、音もなく揺れている。




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