表紙



愛しき弟子たち





「何の騒ぎだ?ヘクトル、見えるか?」
 軍駐屯地内を視察中のエリウッドは、ざわめく兵士の群れをけげんそうに見やった。背後に上官の視線があることに少しも気づいていないのか、煽るような威勢のいい罵声が飛び交う。
「ああ、あれだ。つまんねえガキのけんか」
 横を歩くヘクトルがわずかに背をのばしてこたえた。ざわめきの中心から、ふたつの声が同時に響きわたる。

「おれの師匠のほうが強いに決まってる!」
「ぼくの師を侮辱するな!」

「あの声は……ギィとエルクか?」
「だろうな」
 エリウッドは一歩踏みだした。
「ちょっと待っていてくれ。止めてくる」
「待てよ。お前がしゃしゃり出ていっても仕方ねえだろ。勝手にさせとけよ」
「しかし……軍の風紀上の」
 ヘクトルは相手のことばを遮った。
「おれとお前の手合わせと同じようなもんだろ。周りのやつらがちょっとばかり騒いでるだけだ」
「そう……なのか?」

「おれの師匠の剣の技のすごさを知らないかららそんなこといえるんだ!」
「きみには、パント先生の研究がいかに素晴らしいものかなんて、一生かかってもわからないだろうな」

「戦時中とは思えないほど平和だな」
「……そうかな……」

「どっちが上か、ここで決めておこうぜ」
「……のぞむところだよ」
「サカの民の名において、お前に決闘を申しこむ!」

「……おれたちもやったよなあ、決闘ごっこ。懐かしくって涙が出そうだぜ」
 エリウッドは何もいわず頭をかかえた。

 決闘は人目をさけ、森のなかで行われた。ふたりは、ともに実践においていまだ経験の浅い新兵であって、その実力に大きな開きはなかった。ギィの刃がエルクの衣服をかすめれば、次の瞬間には、エルクの炎がギィの髪をこがした。
「なかなか……やるじゃん」
 ギィは木の影にひそんでいるだろう、相手の気配をさぐりながら、息をついた。
「きみみたいに頭まで筋肉でできてるわけじゃないんでね」
「!!」
 後ろを振りむいた瞬間には、時すでにおそく、魔道書を手にしたエルクの指先がギィの眉間にむけられていた。
「卑怯だぞ!」
「あのさ……敵が必ずしも自分の前にいるとは限らないだろ?」
「う、うるさい!」
「とりあえず、これでもう勝負はあったみたい……」
 しかし、そのことばが最後まで語られることはなかった。突然、ギィがエルクの手首をつかんのだ。
 エルクは思ってもみなかった相手の行動に、とっさに反応できなかった。
「な……」
「これで、形勢逆転だな」
 エルクの瞳がギィをにらむ。
「……さっき、ぼくを卑怯だといったのはそっちじゃないか」
「これは……ええと、戦術ってやつだ!」
「戦術とは、戦闘実行においての方策であって、この場合にはあてはまらない」
「?」
「……単純な思考回路ほどかえって先が読めないのかも知れないな」
「誰が単純だって」
 ギィはむっと顔をしかめた。エルクは涼しい表情でこたえる。
「ひとりしかないだろ」
「おまえの師匠は、そんな屁理屈ばっかり教えてんのかよ」
 ギィはいいながら、怒りをこめてエルクの体を木の幹に押しつけた。ギィは剣士としては非力であったが、魔道士であるエルクの身体の自由をうばう程度は容易いことだった。
 そのとき、エルクの瞳の光と声音が変わった。
「別に、ぼくをいくら罵ったってかまわない。そんなもの慣れている。でも」
 挑みかかるように、まっすぐ相手を見すえる。
「先生を軽んじることは、許さない。だから、ぼくのしたことが先生の名を貶めるなら、自分を許さない、絶対にだ」
 ふたりの視線が、ごく近いところで重なり合う。
「早く斬ればいいだろう」
 ギィは無言で相手を見つめた。髪、肌、そして、瞳へと、視線がうつろう。その年頃特有の中性的な面立ちに、自然と心がすいよせられる。強い眼差しに引きよせられる。森は深閑としていて、わずかな木の香りをふくむすがすがしい風だけが、ふたりを包んでいた。周囲へ意識をむける余裕が生まれると、ふいに、相手と自分との体勢のまずさに思い至った。
 そして、体温を感じるほどの距離の近さにも。
 ギィの頬が急激に熱をもちはじめる。微動だにしないギィに、エルクは眉をひそめていった。
「どうしたんだ? 斬らないのか?」
「ば、馬鹿にするな!」
 ギィははっと我にかえり、がばと耳まで赤らんだ顔をあげた。
「無抵抗のやつなんて、斬れねえよ!」

「はいはい、そこまで」
 手を二回軽くたたく音とともに、朗らかな声が響いた。
「パ、パント先生?!」
 エルクはギィを突き飛ばし、一瞬で姿勢を正した。
「どうしてここに……」
「エリウッド殿からお話をうかがってね。ギィくん、ほら、きみのお師匠さんも」
パントが後ろに視線をむけると、その先に、木に寄りかかって立つ人影があった。
「げ、師匠……」
 ギィは青ざめたが、当のカレルはほんの一瞥しただけで、さしてこの件に興味はなさそうだった。
「エルク」
 パントは穏やかに弟子の名を呼んだ。
「……パント先生、申し訳ございませんでした」
「わかっているね?」
「はい」
「もし、わたしの名がきみにとって重荷になってしまうとしたら、わたしの方こそ自分を許せないだろう」
 エルクは師を仰いで、目を大きく見開いた。パントはにっこりとほほえんだ。
「ルイーズが茶と菓子を用意してお待ちかねだ」
「……はい……」
「と、その前に、エルク。なにかしなきゃいけないことがあるんじゃないのかい?」
 エルクはそのことばを聞いてうつむき、意を決したようにギィに向かって顔をあげた。
「すまなかった」
 かき消えそうな声でいうや否や、足早にその場を逃れる。パントはやれやれと肩をすくめた。
「では、お先に失礼するよ」
 そういって、ふたりの姿は森の木々のあいだへと消えていった。

 一方、残されたほうのふたりも、もくもくと軍の宿営地へ向かって歩みをすすめはじめた。すると突然、それまで押し黙っていたカレルが口を開いた。
「先刻」
「は、はい!」
 緊張と驚きとで反射的に背筋をぴんと伸ばすギィに、カレルは問いかけた。
「なぜあれほどの好機に、斬らなかったのだ?決闘であると聞いたが」
 サカにおける本式の決闘では、敗者すなわち死者を意味していた。
「もしかして、あのときから、見てたんですか」
「ああ」
「あれは、その、お、おれが」
 ギィは頭をたれ、頬の赤みが師に見えないように、額に巻いた布を目のあたりまで引きさげた。
「おれが、未熟だったからです……それだけです……」




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