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ベストをつくせ!





 若くして第三艦隊艦長に就任した青年将校ヘルムート。その身に流れる血脈も全くの無関係とは言えずとも、能力ゆえの人事ではあったが、反発を覚えるものも少なくはなかった。親の七光りとなじられ、トロイの愛人と噂される。
「ふ、バケツに水とはな……」
 エルイール要塞の回廊を歩きながら、ヘルムートは自嘲の笑みをもらした。全身ぐっしょりと水に濡れ、自慢の髪からは雫がしたたっている。会議室の扉を開けた瞬間、頭上から水が降ってこようなど、名だたる歴戦の将も予測できまい。それでもヘルムートは平常心を保ち、取り乱すこともなく席につき、会議は不満を残しつつも滞りなく終了した。
 バケツに水のほかにも、雑巾水で淹れられた茶、靴に仕込まれた画鋲。このような嫌がらせは日常茶飯事である。だが慣れたこととはいえ、ひとりになるとやはり、ため息をつかずにはいられない。
 周囲の評価が低いこと、またそれを覆すほどの結果を出すことが出来ないでいる状況、そして古典的な罠を回避できなかった甘さ、すべては己の未熟さゆえの責である。
 そのとき、廊下の向かいから二つの影が近づいてくるのが見えた。
 遠目に姿を見とめると、ヘルムートは姿勢を正し敬礼した。
「ち……コルトン殿、トロイ殿」
「無様だな」
 すれ違い様、父から厳しい叱責を浴びせられる。ヘルムートは言い返すことができないし、するつもりもない。それは事実であるから。
「同情はせぬぞ」
 コルトンは言い捨てた。
「貴様自身が選んだ道だ」
「……わかっております」
 ヘルムートは重く頭をたれた。父子が言葉を交わす間、トロイは終始無言であった。いっそ責められたほうが楽であろうと、若き士官は苦く思った。
 ふいに、濡れたヘルムートの頭上に、何かが覆いかぶさった。
「?!」
「濡れたままでは風邪をひく」
 不器用に投げかけれたそれは、トロイのマントだった。
「トロイ様……」
 ヘルムートが振り返ったときにはすでに、二人は彼に背を向け歩きはじめていた。胸が熱くなる。トロイは何も言わなかった。だが、ヘルムートはそのとき確かに、彼の声を聞いた気がした。

 ヘルムート、エースをねらえ!




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