表紙



灰かぶり





 昔々あるところに、金持ちの男がいて、妻とその子ハーヴェイと共に幸せに暮らしていました。しかし妻は突然の流行り病で、ことりと呆気なく亡くなってしまいました。男は新しい妻を娶りました。彼女には二人の娘がありました。けれど、お姉さんたちの美しいのは顔ばかりで、心ときたら夜の闇よりも真っ黒でした。
「宴に出たい?」
 あるとき、ハーヴェイの住む街に、世に名高い海賊キカの船が寄港したことがありました。今宵、彼女の船で宴があること、そして自分以外の家族が招待されていることを知ったハーヴェイは、お姉さんたちに、どうか一緒に連れて行って欲しいと頼みこみました。これは大きなチャンスでした。彼の密かな夢は、七つの海をまたにかける海賊王になることだったのです。
「頼む。この通りだ」
 土下座して懇願するハーヴェイを見て、お姉さんたちはせせら笑いました。
「貴様が家を空けたら、一体誰が家事をこなすというのだ。俺は舵より重いものなど持たぬ」
「なら問題ないんじゃ……いでっ!」
 一番上のヘル姉さんが、ハーヴェイの背中を靴の踵でぐりぐりと抉りました。
「ふん、薄汚い顔を上げるな。貴様はそうやって灰にまみれてみじめたらしく這いつくばっている姿が一番似合いだと、どうして何度言ってもわからぬのだ? 海に出ようなどという下らない望みは、さっさと肥溜めにでも捨ててしまえ」
 それから、ヘル姉さんは椅子にふんぞり返って座り、ハーヴェイの顎をつま先でついと押し上げました。
「その灰まみれのなりで宴だと? はっ、笑わせるな。犬は犬らしく、床で残飯でもすすっているがいい」
「……くっ……」
「やりすぎですよ」
 ふいに、二番目の姉さんが歩み寄ってきて、ハーヴェイの肩を優しく抱きました。
「こいつも、自分が馬鹿なことを口走っているってのは、わかっていると思うんです。ただどうやら」
「シグ……」
「躾が足りなかったようですね」
「は?」
 シグ姉さんは懐から物騒なものを取り出しながら、穏やかに微笑んで言いました。
「ハーヴェイ、我侭も大概にしろ」
「お、おい待てよ! それ鞭……」
「目上の人間に対して、その態度は何だ? 俺はどう教えた? こういう時は、何と言うべきだったかな、ハーヴェイ?」
 ぺちりぺちりと鞭の柄でハーヴェイの頬を軽く叩いては、姉さんはなおも笑っています。
「わ、悪い……」
「違うだろう? お、ゆ、る、し、く、だ、さ、い、お、ね、え、さ、ま……だ!」
 リズミカルに鞭をしならせてから、シグ姉さんは、大きくため息をつきました。
「まだ自分の立場を理解していないようだな……どうでしょう。首輪でも付けておきましょうか?」
 ヘル姉さんも目を細め、満足そうに頷きました。
「なるほど。身の程をわきまえぬ家畜には、いい薬だ」
 そのとき、奥からダリオお母さんの怒声が響き渡りました。
「おい、ハーヴェイ! 早くメシ持って来い!」
「今取り込んでんだよ!」
「メシ!」
「ちょっと待ってろ!」
「ハーヴェイ、おまえ、まだ話は……」
「ああもう、うるせえ! メシでも首輪でも好きにしろ!」

「くそっ、あのサド野郎共……今にみてやがれ」
 家人がすっかり出払ったあと、ハーヴェイがひとりブツブツと文句を転がしながら井戸の端で洗い物をしていますと、おずおずと後ろから近づく人影がありました。
「あの……」
「あ?」
 不機嫌さを隠そうともせずに振り向くと、そこにはどこか高貴な雰囲気のある、しかし気の弱そうな青年の姿がありました。
「何か用か?」
「ええと、ハ、ハーヴェイさんでいらっしゃいますか?」
「それがどうした」
「あの、その……」
「用がないんなら、とっとと失せやがれ!」
 緑の瞳は不機嫌を通り越して、すでに殺気走っているといっても良い程でした。
「用! あります、用!」
 青年は目に涙を浮かべながら、必死に続けます。
「あ、あの、僕、あなたの実のお母さまの遺言で、願いを叶えにきた魔法使いです……」
 魔法使いと聞いて、ハーヴェイの態度がころりと変わりました。
「魔法使い? そうならそうと早く言えってんだよ。で、何してくれるんだ?」
「あなたの望むことならば、何でも」
「何でも、ねえ……」
 ハーヴェイはしばし考え込んでから、遠くを眺めて言いました。
「そうだなあ……なら、キカ様の宴に行きたい。行くだけでいい、あとは手前でなんとかする。自分の力をためしてみてえんだ。この家でいびられて一生、ってのだけはごめんだぜ」
 それなら、と魔法使いは言いました。
「姿を変えましょうか。そうすれば、もし船で出くわしたとしても、ご家族にばれないでしょう。とりあえず、今夜の十二時に効果が消えるようにしておきますね」
「おう、そうしてくれ」
「では」
 風にのってまじないの文句が漂いはじめると、魔法使いの持つ杖から、淡い光が溢れはじめました。それはゆっくりと、ハーヴェイの身体を包み込んでいきます。が、それは詠唱半ばにして、ぴたりと止んでしまいました。同時に、青年の身体が、がくりと大地に崩れ落ちました。
「お、おい、どうした? 大丈夫か? その魔法ってやつ、命を削ってどうこう、とかじゃねえよな?」
「……すみません、魔法は失敗しました」
 魔法使いは俯きながら、自分の腕をかたく握りしめました。
「杖が重くて……腕が、腕が動かないんです! ほら!」
 中途半端な力は、時に思いもよらない悲劇を引き起こすこともあります。ハーヴェイの悲痛な叫びが、空ろにこだましました。
「ふざけんな! 姿変えるって、手前ェ、これ犬じゃねえか!」

「で、ええと、犬になった俺はキカ様にじゃれついて気に入られたが、時間が来て魔法が解けて、バンダナ忘れて、キカ様はバンダナの合う犬を探して見つけて、めでたしめでたし、っと……じゃねえよ! 何だこりゃ!」
 台本です、と軍主は至って真面目に答えた。
 どんなにポッチを稼げども稼げども、鍛冶場に吸い取られていく現実を憂いて、軍師と相談を重ねた結果、外貨稼ぎの手段として、船での興行に行き着いた次第である。
 しかし、本読みの時点で役者陣には大不評、夢は儚く夢で終わる可能性が高い。
「まあ、俺以外はハマり役だけどよ」
 ぽつりと漏れたハーヴェイの呟きに、場を同じくした全員が、それは自分の台詞だと思ったに違いない。そんな表情をしていた。軍主は傍観者のまなざして、現実を受け入れようとしない大人たちを、静かに眺めていた。




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