表紙



父と子





 二人の旅人があった。
 ひとりは初老の男、もうひとりは青年で、彼らは親子であった。とくべつ、仲たがいをしていたわけではないが、世の父と息子の多くがそうであるように、二人のあいだには、他者には計りかねぬ、ある種の緊張が走っていた。右へ行くか左へ行くかのただそれだけで、口論になることも珍しくはなかった。
 父は息子に言う、どうせ故郷に帰ったら命はないのだから、ほうぼうを見聞してまわりたい。やれ赤月の湖が見たい、群島の小島を巡りたい、なに、年寄りのささやかな願いも聞けんのか、と無理を言っては息子を困らせる。息子はため息を吐きつつ、また文句を口にしつつも、結局は折れて、律儀に父に従うのだった。
 父は放浪を続けたいわけでも、己の命が惜しいわけでもない。青年はその真意など、とうに知っていたのだ。
「父上」
 だからある晩、就寝のために蝋燭を吹き消すと、宿屋の煤けた天井を見つめながら、青年は、低い、静かな声で言った。
「もういいのです、私はもう、十分に生きました」
 父は答えなかった。あらゆる言葉が闇に埋もれた。
 折しもクールーク帝国崩壊が伝えられる数週間前、美しい夜のことだった。




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