表紙







 心配であったとか、哀れみを感じたとか、そういった類の感情ではなかった。単に癪に障ったのだと思う。どんなに手酷く扱っても、逆に優しく愛撫しても、見下ろした先の赤い眼差しは乾いたままで、少しも満たされる様子がない。初めて肌を重ねて以来、クールークの元士官が床の上で見せるこの態度は、ハーヴェイの男性的な矜持をひどく損ねるものであった。たとえ、ひととき限りと互いに割り切った上での情人であったとしてもだ。だから、猛る心の求めるままに、言葉と肉体とでもって、相手の不実を容赦なくなじった。責めたてた。だがそれでもなお己を映す赤は冷え冷えとして、微かなゆらぎも見せない。
 こいつ、何なんだよ。
 苛立ち、困惑し、呆然とするハーヴェイを見て、ヘルムートは許しを乞うかわりに、笑った。
「何をためらう? 俺の望みなど、とっくにわかっているだろうに」
 簡単なことだ、とヘルムートは血の滲んだ唇で弧を描き、自らの胸をとんとんと指で軽く叩いた。
「ここを一突きすればいい」

 それから、どれほどの月日が流れただろうか。
 声などとうの昔に忘れた、姿も臭いもおぼろげだ。
 生きているのか死んでいるのか、それすら最早知る術はない。
 もう会うこともないのだろう。
 共にいるときはあれほどの執着を見せたというのに、海賊は自分でも驚くほど、あっさりと現実を受け入れた。
 摩りきれた思い出で腹が膨れれば苦労はしないが、ハーヴェイは残念ながら、未だ死体になりきれぬ、か弱きひとりの人間であって、食わねば死ぬし、寝なければ死ぬ。その本能は、あらゆる感傷をも凌駕する。
 冴え渡る群島の青天の下、威勢よく船を駆り、敵の脳天に剣を振り上げ、仲間と陽気に酒を飲み交わしては、海賊家業に精を出す。ひとたび日常の波に埋もれてしまえば、その面影を追うこともほとんどなかった。ただ、時おり夢を見る。それだけだ。
 奴は黙って胸のあたりを示す。
 ハーヴェイは阿呆のように立ちつくしたまま、今も答えを探している。




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