表紙



いざ、料理勝負





 ここに五つの力の石がある。それを覗きこむ四つの頭。
「さて、これを各人に分けたとすると……ひとつ余るわけですが」
 どうしましょうね、とシグルドは軍主を見やる。
「考えるまでもねえだろ」
 ハーヴェイが笑って、さも当然という風に、最後の石をつまみあげた。
「剣の腕が一番立つのは俺だしな……いてっ」
 海賊の腕目がけて、横から平手が容赦なく飛ぶ。
「がっつくな、馬鹿者」
「ヘルムート……あんたさ……」
「剣の腕は認めてやる。せいぜい、取り柄があることに感謝するがいい。貴様の魔法では蚊も殺せぬしな」
「んだと!」
「やめろハーヴェイ」
 今まさに軍服の襟に掴みかかろうとする相棒を、シグルドは片手で制した。
「シグルド、止めんな!」
「何を怒るんだ? 事実だろう」
 しゃあしゃあと言い放つ男に、ハーヴェイは声を荒げた。
「てめえ……大体よ、お前、紋章の方が得意じゃねえか!」
「舐めてもらっちゃ困る。それなりの装備で、それなりの紋章をつけりゃ、お前にだって負けはしないさ。飛び道具だから、デイジーちゃんも倒せるしな」
「く……」
 その言葉は嘘ではない。ハーヴェイは声をつまらせた。ヘルムートが小さくため息をつく。
「我々だけで意見をまとめるのは絶望的だな。軍主殿の意向を伺いたいところだが」
 ならば、とヨンは言う。力の石を与える者の選抜方法について、皆の考えを聞きたい。
 すると協調性の欠片もない大人たちは、好き勝手に案を述べはじめた。
「じゃんけんというのは?」
「つまんねえよ。リタポンにしようぜ」
「剣で勝負をつければいい」
「ヘルムート殿、意外と荒っぽいですね……」
「運ごときで何もかも決まるのはごめんだ」
 薄幸のクールーク人は、眉間に皺を刻んだ。
「酒はどうだ?」
「お前、軍主殿を酔わせるなんて、エレノア殿が黙っていないぞ」
「じゃあ、泳ぎってのは」
「貴様ひとりで行って来い。この海域には水竜が多く生息するらしいがな」
 ややあって、シグルドが問いかけた。
「さて、ヨン様……どうなさいます?」
 軍主はしばし考えてから、決断を下した。
 いざ、料理勝負。

 船内の厨房は、異様な緊張感に包まれていた。
「……くだらぬ!」
 言いながら、ヘルムートはまな板に包丁を叩きつけた。あわれ人参が空を舞う。
「エプロン似合ってますよ……おっと」
 刃先を突きつけられ、シグルドは両手を上げた。
「馬鹿野郎、包丁人に向けんじゃねえよ!」
 人に剣を突きつけることを生業にするハーヴェイであるが、剣と包丁とはどうやら別物らしい。
 そのとき、頭に巻いた三角巾をひらりと解き、ひとりが挙手した。
 料理対決、一番手は若き軍主ヨン。
 差し出されたるは、皿いっぱいのカニ饅頭。
「……うまいな」
 ハーヴェイは素直に賛辞を口にした。シグルドも感嘆する。
「カニ入り肉まんとはまた違った風味がありますね。肉がないぶん、カニの旨みが凝縮されている」
 ひとつめのまんじゅうを飲み込むと、海賊は隣の相棒にぼそりと耳打ちした。
「なあ」
「何だ?」
「料理対決ってさ、リーダーがこれ作りたかっただけなんじゃねえの?」
「かも知れん……おさんどん全般、軍師殿に禁止されているからな」
「俺の雑用でも分けてやりたいぜ……ん?」
 ふいにハーヴェイは、ヘルムートの箸が進んでいないことに気がついた。
「どうした。食わないのか?」
 彼にしては珍しく、ヘルムートは心底すまなそうに首を振った。
「軍主殿、申し訳ない。私はカニが食えぬのだ」
「何でだよ、こんなに旨いもん。あんたがいらないんなら、俺食うぜ」
「甲殻類はどうも受け付けなくてな。カニを食うと体に蕁麻疹がでる」
 それなら仕方ない。軍主は言った。では今度は、カニなしのまんじゅうを振る舞いたい、と。
「いや、そこまでは」
 言いかけたものの、海色の瞳に見つめられては、否と口にできるはずもなかった。
「……かたじけない」
「しかしあんた、よくそれで海軍いられたな」
 呆れ顔のハーヴェイに、ヘルムートは遠い目をして言った。
「かつて、クールークのある王妃は言ったものだ。パンが食えなければ菓子を食えばいい。カニが食えなければ、魚人を食えばいい」
「え、待てよ……お前ら魚人食うのか?!」
 元士官はその問いには答えなかった。
「次は貴様の番だ」
「仕方ねえなあ」
 わざとらしく頭をかくが、その仕草ひとつにも自信の程が見え隠れする。
「ハーヴェイ様の包丁の冴えを堪能しやがれ!」
 焼いた肉、野菜炒め添え。
「普通だな。特に言うべきこともない」
「普通ですね。ちょっと盛り付けが雑ですが」
「うるせえよ! ガタガタぬかしてねえで、食え!」
 おいしいです、とは軍主。
「食えないことはない」
 ヘルムートは素っ気なく言った。
「見た目は粗雑だが、味はまとも……ふむ、ハーヴェイという人間を正しく表した料理だな」
「シグルド、お前、一言多いんだよ……」
「次は俺ですね」
 鮮やかな手さばきで用意された皿に、一同は驚嘆の声を上げた。シグルドは何やら難解な料理名を口にしたのだが、誰ひとり理解できるものがいなかったので、ここでは省略する。とにかくそれは、白身の魚をソテーにしたもので、ソースの匂いといい、添えられた野菜の彩りといい、食欲を大いにそそる一品だった。
「くそっ、旨そうじゃねえか」
「……都でも、これほどの料理にはそう出会えまい」
 その出来映えの素晴らしいことは、あのヘルムートが賛辞を口にするほどだった。
「お口に合えばいいのですが」
「遠慮なくいただくぜ」
 はなから遠慮するつもりなどないハーヴェイは、一切れひょいと口に放り込んだ。ヘルムートもそれに続く。
 途端、地獄の底から湧き上がるような悲鳴が、厨房にこだました。
「ぐああああっ?!」
「うっ?!」
 二人の身体が、床に打ち崩れた。
「どうしたんだ? マオのキノコもナオのハーブも使っていないはずだが……」
 シグルドは、不思議そうな表情を浮かべ、軍主と視線を交わしあった。
 ヘルムートはやっとのことで半身を起こし、喘ぎながら呟いた。
「確かにぱっと見は旨そうだが……これは……」
 古代ガニも一発で倒せそうな破壊力である。
「食い物、なのか……?」
 ハーヴェイは薄れゆく意識の中、笑わずにはいられなかった。
 まいったね。身体全体が、こいつを拒否しやがる。
「結構いけますよね?」
 ヨンはこくこくと頷いた。
「こいつら、人間じゃねえ……」
 やがて二人が意識を取り戻した後、最後の晩餐がはじまった。
 ヘルムートが投げやりに卓に置いたそれに、皆の息が止まった。
「これは……」
「茹でた芋だ。それから、粥」
 芋はまだいい、皮がついたままだが。ひどいのは粥とヘルムートが呼ぶ物体だ。白く淀んだ液体に、ぞんざいに切られた野菜が漂っている。
 ハーヴェイは眩暈を覚えた。
「料理なめてんのか!」
「馬鹿を言うな。見ればわかるだろう。調理済みだ」
「そういう問題じゃねえだろ……」
「この粥、何味なんですか?」
 シグルドの問いに、ヘルムートは簡潔に答える。
「調味料など、塩だけで十分だ」
「頭痛え……」
「栄養価はすこぶる高い。これ一食で一日持つ」
「てめえ、こりゃ食材への侮辱だぞ?!」
「食事など、必要な栄養が摂取できれば問題ないだろう」
「食うってのは、人生の三つの愉しみのうちのひとつだぜ? わざわざそれを自分から投げ捨てるなんてよ……信じらんねえ」
 ヘルムートはしばし考えてから鍋を抱き、ハーヴェイの腕を掴んだ。
「……来い」
「何だよ?」
「いいから、来い」
 厨房を出て別室に入るや否や、ヘルムートは己の口に芋を含んだ。そして唾液を十分に絡めて、咀嚼する。
「あんたが食ってどうすんだ……よ?!」
 ハーヴェイの言葉がしまいまで語られることはなかった。とん、と壁に身を押し付けられる、赤い瞳が迫る、と思う間に、どろりと溶けかけた芋が、歯を割って、舌と共に口腔に押し入ってきた。艶かしい舌の動きとねっとりとした芋の感触、それからくちゅりと水気を帯びた音が、粘膜を鼓膜とを甚振るように刺激する。
 糸を引きつつ口を離すと、互いの唇の端から芋と唾液の混じった汁が、ぼとり、ぼとりと垂れ落ちた。
 ヘルムートは手の甲で口元をぬぐいながら、粥を眺めた。
「粥は……塗るか」
「は? どこにだよ!? おいおい、ちょっと待て……」
 もはや返答はなかった。ヘルムートは微かな笑みを浮かべながら、白濁した粥を指で掬い取り、濡れた赤い舌先でもって、ゆっくりとそれを舐めとった。
「他の愉しみ、とやらで補えば、文句もあるまい?」
 侮りがたし、芋と粥。
「負けたぜ……」
 しばらくしてから戻ってきたハーヴェイは、舌打ちして言った。心なしか衣服が乱れているような気がするが、ヨンとシグルドは見なかったことにした。
「とりあえず、全員の料理は揃いましたね」
 シグルドはぐるりと辺りを見回した。
「さあ、軍主殿。結果は……」
「待ってください!」
 突然、調理場に高い声が響き渡った。
「僕もバーティの一員です!」
「ナレオ、お前……」
「僕の料理も食べてください、お願いします!」
 もちろんだよ、とヨンは頷く。
「ああ、構わないぜ」
「何を作ってきたんだ?」
「待て」
 ただひとり、ヘルムートだけがそこに待ったをかけた。
「これは力の石を巡っての勝負ではなかったのか?」
「そうですが」
「彼はサポートメンバーだ。力の石は使えな……」
「細かいこと言うなよ。ヘルムート、あんたには情けってもんはねえのか?」
「情け……そういう問題なのか?」
 かのクールーク人は――床以外では――押しに弱かったので、その儚い声音はすぐにかき消されてしまった。
「で、お前の料理ってのは、どんなんだ?」
「これです」
 ナレオは皿の上に被せたナプキンを、ふわりと取り払った。
「……握り飯?」
「はい。さっきサロンのカウンターで、ルイーズさんと作ったんです」
「確かに、良く出来ちゃいるが……」
 戸惑いの表情を浮かべつつも、四人はナレオ特製のおにぎりにかぶりついた。
 瞬間、胸に迫った切ない何かが、彼らの目頭を熱くさせた。
「どうしたんだ……涙が止まらねえ……」
「母の味、か」
「キカ様?!」
 にわかに響いた低い女の声が、場を支配した。
「先ほどからこの勝負、楽しませてもらったよ。だが、あんたたちも、まだまだだね」
 女海賊の肢体が鮮やかな軌跡を描いて、厨房を優雅に横切っていく。
「ハーヴェイ、料理に必要なのは何だと思う?」
「あー……何すかねえ……常識?」
「人を思いやる心さ。どんなに高級な食材を使っても、相手が食べることができないものであったり」
「いや、カニが食べられないのは私の問題であって、軍主殿が悪いわけでは」
「生死の境をさ迷うようじゃ、意味がない」
「俺も、心は込めたつもりなんですがね……」
 シグルドの呟きを軽やかに無視して、キカは続けた。
「逆に、茹でた芋でも、愛の媒介となりえる」
 さすがのハーヴェイも、これには顔を青くした。
「ち、ちょっと待って下さいよ! まさか、さっきの見て……」
「握り飯ひとつで、涙を呼び起こすほどの思いの強さ」
 キカは悠然と、一同の顔を見渡した。
「この勝負、ナレオの勝ちだな」
 軍主は頷き、懐から取り出した小さな石を、ナレオに手渡した。少年はそれを、躊躇うことなく己の主に差し出した。
「これはどうか、キカ様に」
「いいのか?」
「はい、勿論です!」
 海賊たちも破顔する。
「ああ、キカ様が一番似合いだぜ」
「そうだな」
「すまないね。有り難く使わせてもらうよ」
 ヘルムートは呆然としながら、横に立つ少年に尋ねた。
「……で、結局、この騒ぎは何だったのだ?」
 つまりは、力を手にするのは最も強き者である、という話。




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