表紙



雪花





 雪深々と降る飯田橋、歪んだ硝子の向こうには、火鉢間に差し向かい、杯交わす男が二人。一人はこの家の主、弁当屋の若旦那。乱れた着物もしどけなく、煙管を吹かし機嫌顔。残るは銀髪の青年将校、その面立ちは石に似て、白い煙を追うように、眼差しだけが微かに動く。
「ああ、これか?」
 視線に気づいた若旦那、手にした煙管をぐるりと回す。
「どっかの太夫の持ちもんだったらしいぜ。ま、本当かどうかはわからねえ。流れの古物商の言うことなんざ、真に受けるほうがどうかしてるってもんさ。どうだい、大将。一服やるかい?」
 意匠は牡丹、見事な一品。管には艶に紅塗りこめて、吸口鮮やか銀に濡れる。だが鼻先に雁首突きつけられど、将校殿はピクリともしない。
「そんな目ェしなさんな。弁当屋にゃ、過ぎた道楽ってか? はっ、違いねえや」
 小さく肩をすくめては、雪風眺めつ問いかける。
「で、あんた、今日は何を斬ってきたんだ」
 そう言う声の静かなことは、雪舞う様と同じ程。
「殺気は雪に埋もれちまうが、臭いは中々消せやしねえ」
 ちらと見やる痩躯は若竹の如し、だがいかに荒風を受けようと、しなる気配は一向にない。
「感触はどうだった。肉が多くて柔らかかったか、それとも骨ばっかりで、苦労したか。最期はどうだ、喚いたか、叫んだか、諦めたか。腸はちゃんと腹ん中収まってたか」
 脇息を横に押しやって、若旦那はついと身を寄せた。
「互いにケツも青くねえ年だ、何しようが結構だがな、ガキんときからの長え付き合いに免じて、これだけは言わせてくれよ」
 火鉢の際に煙管を置けば、乾いた音がこめかみを刺す。
「誰もかれもが仏様みてえなら話は別だ、だがあんたのご高説を叶えるにゃ、人間ってのは、ちいとばかし厄介な生きもんだぜ」
 冷えた指先が向かうのは、固く閉じたるその襟元。
「欲に目眩んで盲になることもあり、腹ァ煮え繰り返るほど恨むこともあり」
 重ねあわせた唇が、互いの熱を秘めやかに移す。己を求める体温を、青年将校は拒まない。
「情に溺れることもある」
 沈黙していた赤が、わずかに揺れた。若旦那はそれを見て、いかにも愉快そうに顔を歪める。
「あんた、腰んとこに生首ぶら下げて、一人でどこ行くつもりなんだい?」
 軍服の肩に額当て、男は、項垂れるようにして呟いた。
「なあ、ヘルムート」




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