表紙



熱と恋愛譚





 廊下に本が落ちていた。
「あ、何だこりゃ?」
 ハーヴェイがひょいとそれを拾い上げると、相棒が横から覗きこんできた。静かな午後、船内はいたって平和である。
「ああ、今流行りのロマンス小説だな。女性の間で大人気、だそうだ」
「ロマンスぅ? しかしお前、なんでそんなの知ってんだ?」
「まあ色々と」
「お前が言うときなくせえなあ」
 呟きながら、項をぱらぱらとめくる。
「ふーん……で、どんな話なんだ?」
「興味があるのか?」
「いや、全然。本自体興味ねえし。何となく聞いただけ」
「そりゃそうだ。お前がこれを読んでいたらとりあえず、発熱を疑うぜ」
「ま、だろうな」
 シグルドはふむ、と顎に手をあてた。
「確か、若い騎士が王女と身分違いの恋に落ちるとか、そんな感じだ。王道だな」
 ふいに、ハーヴェイの手がある項で止まった。
「『愛しい人よ願わくば、この愚かな男の言葉を聞きたまえ。国を捨て、身分を捨て、栄誉を捨て、世のしがらみすべてを捨てて、共に行こう』……くっせえ台詞だな。女ってこういうのが好きなのか?」
「俺にもよくわからんが」
「それで、最後はどうなるんだよ?」
「さあ、そこまでは。大団円か、悲劇か……」
「そ、それ……きゃーっ!」
 そのとき、廊下の奥から甲高い叫びが上がった。見れば、真っ赤な顔をしたアグネスが、猛烈な勢いで駆け寄ってくる。
 二人の海賊はくっくっと笑って、顔を見合わせた。
「やれやれ、持ち主のご登場ってわけだ」

 夜半、ハーヴェイは間近に迫る赤い双眸を眺めた。と、思わず口を開きかける。
 すべてを捨てて、共に行こうか。
「どうした、熱でもあるのか?」
 呆けた風の相手に、ヘルムートは怪訝な顔をした。
「はは、かもな」
 ハーヴェイは小さく笑い、指に絡めた銀の髪を荒く握った。そうして、零れかけた言葉を首を締めるように殺し口づけ、寝台を軋ませ、押し開いた脚の間にその身を深く沈めた。臓腑がひどく熱い。
 魂を爛れさせる熱は病に似て、あらゆるものを貪欲に飲みつくす、美しく腐敗した幸福な結末を、流れる血潮も清廉なる悲劇を、白き未来の片影すらも。




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