表紙



いつもと同じ夜のために





 車窓に視線を送ると、濡れたように煌くイルミネーションがちらちらと瞬いていた。光溢れる街々にひとたび身を埋めれば、おなじみのメロディが軽やか耳を過ぎては溶けて消え、クリームやチョコレートの甘い香りが鼻先をくすぐるのだろう。
 クリスマスイブだ。
 それ以上でもそれ以下でもない。ヘルムートは手すりから気だるく体を起こすと、滑るように電車を降り、足早に改札を通り抜けた。凍てついた表情の人々の群れに、大きな包みを脇に抱えた男の姿が、一瞬、鮮やかに浮き上がって、しかし再び波へと飲まれていく。赤を散らした瞳は、何の感慨もなくその情景を映した。他人へのプレゼントなど、ここしばらく買った覚えがない。
 いつもと同じ夜である。
 どれほど想像力を働かせようと、クリスマスという行事に特別な意味を見出すことはできなかった。学生時代であれば周囲の空気に流されるまま、それなりに楽しんだ思い出もあるが、もはやイベントひとつに浮かれ騒ぐことの許される年でもあるまい。
 いつもと同じ夜である。
「……ただいま」
 奥から、おかえりなさいと返す声がある。外の冷気から逃れるように、玄関に身を流しこむ。
 いつもと同じ夜である。
 室内に広がる出汁のよいにおい、見回せば炬燵に置かれた土鍋からふんわりと白い湯気が立っている。菜箸で春菊をつついていたヨンが顔を上げた。今夜は、カニ鍋にしてみました。しごく真面目にカニ鍋作りに精を出す少年を眺め、ヘルムートは微かに笑った。
 「ああ、うまそうだな」
 いつもと同じ夜である。
 二人で炬燵にもぐりこみ、ふうふうと息をつきながら黙って熱い鍋をつつく。時おり、隣室からテレビの音が漏れてくる。
 いつもと同じ夜である。
 鍋も空になったころ、ふいに、炬燵に入れた手を、包みこむ柔かな何かがあった。握る掌の力は、次第に強くぎこちなく、けれどやさしく体温を伝える。ヘルムートはゆっくりと感触を手繰り、その主と眼差しを重ねた。
 いつもと同じ夜である。
 つけはなしたままのテレビが、クリスマスソングを静やかに歌う。
 いつもと同じ夜である。




表紙

inserted by FC2 system