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犬を飼っている





 犬を飼っている。
 時々餌をやっていたらどうしてか懐かれて、そのまま居ついてしまった。犬としては変り種で、「犬に見える」という者と「見えない」という者がいる。そのせいか、どうやら自分を犬と思ってはいないようである。おこがましくもヒトのつもりらしい。尻尾を勢いよく振りながらそう訴えるので、苦く笑わずにはいられない。だから扱いには少々コツがいる。人間にするように接すること、しかし畜生であることを忘れさせてはならない。この加減がなかなかに厄介である。
 首輪をひどく嫌がるので、放し飼いにしている。元々の飼い主である女に尋ねると、飴と鞭でもって、厳しく躾けることが大切だと言う。仕事柄、犬でも人でも訓練するのには慣れているはずなのだが、これがどうして難しい。飴が多すぎるとつけあがるし、逆に鞭が多すぎると拗ねる。なので、未だに芸のひとつも覚えていない。待てと言っても待たず、座れと言っても座らず、隙を見せるとすぐに、自分の図体も考えずに飛びかかってくる。人の都合など頭にないわけだが、そこは犬であるから、多くは望むまいと己に言い聞かせている。腹が減ったら餌をやり、盛ったら適度な運動を与え、興奮しているようなら戦いの場に放りこみ、うるさいときには尻尾を引っ張れば、少しの間だけ大人しくなる。喉をなでてやると、喜ぶ。身を摺り寄せて鼻を押しつけて、人の臭いを嗅ぐのが好きだ。
 一応、人の言葉は理解できるようである。だが、理解はできても聞く気はないらしい。それに苛立って、時おり蹴る。すると噛まれる。罵倒する。掴まれる。張り倒す。わめく。無視する。犯される。諦める。と、急に静かになる。多くはそのまま別れる、稀に許す。夜にそれでも、朝には忘れている。気付くと側にいる。日が暮れたらまた抱いて眠る。その繰り返しだ。
 普段はよく笑う懐っこいやつだが、噛み癖があるのが困りもの、甘噛みならば許しもしようが、鋭い牙が肉をえぐるのだから堪らない。いつか食われるのではないかと思う。だからきつく嗜めると、不思議そうな顔をする。自覚はないらしい。何が悪いかを理解できないようで、間近に迫った緑の目が宙を泳ぐ。それが時々、恐ろしい。

 あるとき腹が立つことがあったので、犬、と罵ったら怪訝な顔をされた。
「あんたも犬だろ?」
 ああ、そうだったのか。
 納得して、互いの首ねっこにかぶりつき口を塞ぎ粘り気のある唾液を絡ませそのまま垂らし軍服を引き下げしゃぶりつき体液の腐臭に浸り寝台を汚し尻を突き出し押し広げ毛を探り性器を臓腑深く銜えこみきつく締めつけ腰を振り掻き回し爪で肌を引き裂き髪を掴み顔を反り精液と唾液にまみれた咽喉からだらしなく声を上げた。
 そこにどんな意味があるのか、考えても仕方あるまい。犬は犬なのだから。




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