表紙



帰り道





 夕日に赤く染まった町並みに、少女の朗らかな笑い声が響いていた。歩道をあるくふたりの少女たちは、そろいのセーラー服を身につけていた。このすぐ近くにある高校の生徒であることは、一見して明らかだった。
 ふいにひとりが胸元の大きなリボンをゆらし、隣りを歩く友人の顔を覗き込んだ。
「ねえ、あんた深崎先輩のこと好きなんでしょ?」
「……え?!」
 話しかけられたほうの少女のほおが、瞬く間に夕日と同じ赤に染まる。
「見てればわかるよ。すぐ顔に出るんだから」
「違う違う!」
 顔を赤くしながら必死に反論する。
「今日見てたのは、剣道をやってる姿勢がすごくきれいだったから、それだけだよ」
「やっぱり見てたんだ」
「……あ」
 友人の素直な反応に思わず笑いがもれる。
「別にいいんじゃない? 深崎先輩格好いいしね。でもさ、実を言うと、この前まで全然知らなかったんだよね、先輩のこと。なんか最近急に目につくようになった感じ」
「そうそう、そうなの!」
 少女は指をきつく握りしめて目を輝かせた。
「クラスの男子とは雰囲気とか全然違うんだよ! 落ち着いてるって言うか……大人っぽい、のかな。すごくやさしいし。この前もプリントが風に飛ばされちゃったら、すっ、て手をのばして取ってくれて、それからにっこり笑って渡してくれたの! ほら、先輩背も高いじゃない?」
 うっとりと空を見つめる友人に少女はため息で答えた。
「……こりゃ重症だね。あ」
「どうしたの」
「噂をすれば影。深崎先輩だよ」
 言いながら、目の前の公園を指差す。
「え、やだ!」
 少女は友人の背中にさっと隠れた。
「別にいいじゃん。さりげなく近寄って、さよなら、くらい言ってくれば? チャンスだよ」
「言えないよ……だって先輩のほうは私のことなんか覚えてないだろうし」
「だからあ、その最初の一歩が必要なんでしょ。ほらさっさと行く!」
「ちょ、ちょっと待って! 誰かと一緒みたい」
「ほんとだ、誰?」
 確かに、深崎らしき人物が公園のベンチに座っていた。夕日にのびた長い影の横に並んでいるのは、ひとまわりほど小さな影だった。
「まさか……彼女?」
 青ざめる友人に、少女は冷静に返した。
「よく見なよ。男の子だよ」
 ふたりは、街路樹の陰にこっそりと身を隠しながら、様子をうかがった。
「でも、見たことないなあ……うちの学校の人じゃないのかも。中学の友だちとか」
「何はなしてるんだろう」
 四つの目と耳が好奇心とともに自分たちへ向けられていることも知らず、深崎とその連れである少年は熱心に話しこんでいた。
 深崎は笑った。
 少年も笑った。
 その屈託のない笑顔は、少女たちが普段友人と交わしている笑顔とは、すこし性質が違うようだった。少女が深崎からむけられた笑顔とも、また。双方のまなざしと言葉は不特定多数に、あるいは数いる友達のひとりにむけられているわけではなく、ただひたむきにお互いにだけむけられていたのだ。なんの飾りけもなく、だからこそ真摯で誠実な笑顔だった。
 ふいに、冷気を含んだ秋の風が公園をかすめた。少女たちのスカートが風にゆれる。同時に少年がかすかに身をふるわせ、くしゃみひとつした。深崎はそれに目ざとく気付くと、やおら制服の上着を脱ぎ、少年の肩にかけた。はじめ少年はかるく拒絶したが、最後にはしぶしぶ袖を通した。小柄な少年には深崎の上着は大きすぎて袖から手が出ない。ちぐはぐな印象だった。深崎もそう感じたのか、すこし困った風に笑った。少年はむっとした表情で深崎の顔を見あげた。深崎はまた笑った。
「な、なんか」
 少女はわずかに顔を赤らめ胸に手を当てた。
「すごくどきどきするんだけど……何でだろ」
「……うん」
 ふたりの少女は、しばし沈黙してから互いの目を合わせた。
「……邪魔しちゃ、悪いよね」
「もう、行こうか」
 少女たちは深崎たちに気取られぬように、そっと踵を返した。公園を染めた夕暮れの赤は、そこにいる人々の想いをあたたかく包みこんでいた。




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