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いつもの朝





「……おはよう」
 次第に慣れてきた朝のあいさつを口にしながら、ソルはいつも通りのにぎやかな朝の食卓についた。
「おはよう、お兄ちゃん!」
「おは……よう……」
「おはようございますですの!」
 子どもたちとモナティがせかせかと走り回って皿を用意しながら、満面の笑みとともにあいさつを返す。無邪気な表情に、ソルもつられて目を細めた。すでに席についているレイドたちとも軽くあいさつを交わした。豪華ではないが清潔に保たれた卓上にはパンが並び、厨房からはスープのいいにおいがふんわりと漂ってくる。普段と変わらぬおだやかな光景。
 しかしそこに、彼の姿だけがなかった。
「トウヤは?」
 不審に思ったソルは一度席を立ち、リプレにたずねた。リプレは鍋をかき混ぜる手を止めることなく振り向いて答えた。
「まだ寝てるんじゃないかなあ。悪いんだけど、部屋に呼びに行ってくれる? 今が手が離せなくて。ごめんね。いつもはガゼルが起こしてるんだけど、今日は薪を割りにいっちゃってて……あっ、ふきこぼれちゃう!」
「大丈夫か?」
「うん、こっちは平気。それよりも、トウヤのこと、よろしくね」
「わかった」
 ソルは素直にうなずくと、忙しそうにてきぱきと立ち回るリプレに背を向け、ひとりトウヤの部屋へと向かった。

 部屋の扉を何度か叩くが中から返事はない。
「いるのか?」
 いぶかしげに呼びかけながら取っ手を回した。鍵はかかっておらず、扉はすんなりと開いた。室内を見回すと、トウヤの姿はまだ寝台のうえにあった。ソルはトウヤに近づいて声をかけた。
「おい、朝だぞ」
 年相応のあどけない寝顔はぴくりともうごかない。ソルは少し考えてから、トウヤの身体を激しく揺さぶって、鋭い声でもう一度言った。
「おい!」
 そこでやっと、トウヤが眉にしわを寄せながら眠たげな目を半ば開いた。珍しく不機嫌そうな顔がソルを睨んだ。
「いい加減もう起きろよ」
 わずかな苛立ちを表情に浮かべながら覗き込むソルの腕を、突然、トウヤが強く握る。
「な」
 予想外の行動に抵抗する間もなく、ソルのからだは寝台に引き寄せられ、トウヤの下に組み敷かれた。
「やめろ!」
 ソルは青い顔で激しく抵抗したが、トウヤの力は存外に強く、ただもがくことしかできなかった。これほど強引で、感情を剥き出しにしたようなトウヤをソルは知らなかった。ソルはにわかに本能的な恐怖を覚えた。
 トウヤはぼんやりとまどろんだ瞳でしばらくソルを見つめ、そのまま体重をソルに預けてきた。熱い息が首筋にかかる。
「トウヤ、はなせ!」
 思わずトウヤに蹴りを入れながら叫んだそのとき、急に部屋の扉が開かれ、ガゼルが足音も荒くずんずんと歩んできた。
「トウヤ!」
 ソルは自分たちの体勢にすぐ思い至り、ぎょっとして口ごもらせた。
「これは……」
 ガゼルはその言葉に構いもせずに、トウヤの重いからだをソルから乱暴に引き剥がした。
「いいかげんに起きろよ!」
 トウヤの体重から解放されたソルは、衣服の乱れを直しながら眉をひそめた。当のトウヤといえば、寝台の上に力尽きたように横になっている。
「おい、大丈夫か?」
 ガゼルがソルに振り向いてたずねた。
「……もしかして」
「ん?」
「寝ぼけているのか」
 ガゼルは小さくため息をついた。
「ああ、毎朝こうだぜ。こいつ寝起きが悪くて、こうでもしないと起きねえんだよ」
「誰にでも、こんなことを?」
 ソルの声が低く響く。胸には言い知れぬ、苦く黒いものが渦を巻いていた。
「俺はもうなれちまったけどな。ガキどもやリプレは近づかないように……って、おい、どうしたんだよ?」
 ソルは冷たい目でトウヤを一瞥すると、何も言わずその場を去った。戸惑うガゼル、幸せそうに睡眠を貪りつづけるトウヤ、そしてソルが扉を閉める大きな音だけが部屋に残された。

「ガゼル」
「何だよ」
「……今朝からソルの様子がおかしいんだ」
「で?」
「とても怒っているみたいで、口を利いてくれない。何か知らないうちに悪いことをしてしまったのかな」
「そりゃあなあ」
「何か知っているのか?」
「自分で考えろよ」
「……?」
「……バカ」




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