金木犀
初秋の、日の落ちかけた時分のことでした。学校帰りとおぼしき少年がふたり、竹刀の入った袋を肩に、談笑しながら歩いていました。いくらか行くと、道のまたになっているところになりました。ふたりはそこで互いに手をふりあって、ひとりは右へ、もうひとりは左へと別れました。左を行く少年のほうは、しばらくはぴんと姿勢を正して歩いていましたが、ある家の庭先に来ると、とつぜん、立ちどまりました。鼻に、金木犀のつよい香りを感じたからです。
少年はあたりを見回して金木犀の木を探しましたが、どこにあるのか、見当もつきませんでした。しかし姿は見えなくとも、やわらかな花の匂いは、秋のすがすがしい風にのって、少年をやさしく包みこみました。その甘い香りは、少年の胸を苦くつまらせました。
空には、うすいだいだいの雲が、次第に赤みをおびながら、ゆるやかに流れていました。少年は空を仰ぎました。
雲をながめているのか、それともほかの、もっと遠いどこかに目をこらしているのか、深い黒の目に、郷愁にも似た色が浮かんでいました。
少年は姿の見えないだれかの名を、そっと口にしました。
けれど、その声はとても小さかったので、少年以外には、だれひとり、聞こえるものはありませんでした。
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