表紙



影踏み





 毎日、籐矢が帰宅したあと、ふたりで町中をぶらぶらとあてもなく散歩する。たわいもない話をし、笑いあう。ソルはその時間が好きだった。けれど、心地よくあたたかいもので満たされるのと同時に、言い知れぬ不安が胸をかすめる。
 これまで、ソルはこんなにも人の心に近づいたことがなかった。幼いころまず覚えたのは、感情を、自分さえ気取らぬように、仮面の下に隠すことだった。そうするしか、あらゆる迷いと恐怖から、自分を保っていられる術がなかった。だからこそ、いちど手に入れたこの居場所を、失うことを考えるのは、おそろしかった。ぽっかりと口を開く空虚に、ふたたび飲みこまれてしまったら、自分はどうなるのか。想像もつかなかった。あの深く、陰鬱な森で過ごした日々に、苦しみを感じる今となっては。
 ソルはふいに立ち止まった。
「ソル?」
 籐矢が不思議そうに振り返る。ソルは屈託なく笑った。
「なんでもない、なんでも」
 それから、そっと籐矢のうしろにのびる影を踏んだ。今まさに醒めそうな夢を、現実にぬいとめるように。




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