表紙



ことばを君に





 かつて、ウィルにとってのことばとは、紙やペンなどとそう変わらなかった。温度をもたぬ道具に過ぎなかった。人と話すこと、とりわけに同年代の相手に対しては、苛立ちや軽蔑を覚えることは多々あっても、よろこびを感じることは少なかった。
 それに、年少の者と話す機会はほとんどなかったし、年長の者には常に気安さよりも礼儀が先にあったから、どちらかといえば、ことばをもたぬ、動物と過ごすほうが心が安らいだ。
 それが変わりはじめたのは、いつからだったろうか。相手に心から自分の気持ちが届くことのうれしさ、また伝わらぬことのもどかしさを知ったのは。
 ウィルはすぐにそれに思い当たった。彼と、出会ってからだ。
 ウィルと彼は、色々なことを話した。たくさんのことばを交わした。それまで苦手だった世間話も、苦ではなくなった。たとえば、その日の天気、食事の献立、きのう見た夢の話など、たわいもないものであっても、彼の話を聞くのは楽しかった。なにより、ゆっくりと話す、その声を聞くのが好きだった。彼の声はウィルのそれとは違って大人の男のもので、耳に低く、心地よくひびいた。

 ある夜、ふたりは地べたに座って星を眺めていた。
 空にかがやく星のまたたきは、ふるさとと同じものだろうかとウィルはたずねた。
 彼はうなずいた。君のお父さんも、きっとこの夜空を見ているよ、と。
 それから、未来のことを話した。それまで、ウィルは来るべき未来についてしっかりと予測を立てていると自負していたし、だからこそ不安を感じたことはなかったのだが、この島に来てからというもの、足元がおぼつかない感覚に陥ることも、時おりあった。ちょうど、目の前に広がる夜の海のように。けれど同時に、今を生きることのよろこびと意味を、はじめて自分の頭で考えて、足で探すようにもなった。
 ウィルは横に座る人影を大きな瞳で見つめた。視線に気付いたのか、彼もウィルを見てほほえんだ。
「なんだか、座って話しているときが一番うれしそうだね」
 ウィルのほおがさっと赤くなった。同時に、思わず目を逸らす。もしかしたら、気付かれてしまったのだろうか。彼と座って話すのが、なによりも好きだということを。見あげているときにはわからない、あたたかいまなざしの色を、ずっと見つめつづけることができるから。




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