表紙



星は輝く





「ラチェット」
 突然、後ろから声をかけられて、ラチェットは小さく声をあげた。
「きゃっ!」
「何をやってるんだい?」
「昴」
 青い瞳が大きく見開かれた。
「あ、あなたこそ、どうしたの、こんな時間に」
 誰かがいるとは思わなかった。ラチェットの固い声が、暗にそう告げていた。
 夜のドリンクバーは、二人のほかに人気はない。ラチェットは昴の姿を見とめると、ほおを赤くして、手にしていたものを、さっと後ろに隠した。長い金の髪はひとつに束ねられ、レースのエプロンを身につけている。そして、白く美しい指先には、先刻つけたばかりという風の細い傷のあとが、いくすじも赤く走っていた。ここで何をしていたかは、問わずとも明らかだった。
「あの……これは……」
「さっきから格闘していたようだけど……りんご?」
「昴!」
 ラチェットの手の平から覗くそれは、うさぎというよりは猪に見える。なかなか豪快な包丁捌きだ。
「いえ、その……な、何でもないのよ」
「リカ」
 ラチェットの肩がぴくりと強張る。それを眺める扇子の先の唇に、うすい笑みが浮かんだ。
「そういえば、熱を出して寝込んでいるという話だが」
「そ、そう……」
「もっとも、君がここで悪戦苦闘していることとは、まったく関係のないことだ」
「も、もちろんよ」
「そして、僕がこれから君の手伝いをするということも、ただの気まぐれにすぎない」
「……え?」
「ちょっと包丁を貸してごらん。手本を見せるから」
「え、ええ……」
 ラチェットは言われるままに、昴に包丁を渡した。くし型のりんごから、するするとうさぎの形が現れてくる。
「上手ね」
 美貌で知られた才媛は、小さくため息をついた。
「私、だめね。ほんとうに手先が不器用で」
「筋は悪くない。だが、包丁のにぎりをもう少し上にもって……そうだ」
 昴の手がラチェットのそれに重なる。欧州で血と硝煙にまみれて戦っていたころ、まさかこの二人が肩を寄せ合って、うさぎりんごを作ることになろうとは、誰も予想し得なかったに違いない。
「誰のせいかしら」
 ラチェットはくすりと笑った。そこに昴の一喝が飛ぶ。
「ほら、余所見をしない! 怪我をするぞ!」
「ご、ごめんなさい」
「力を入れすぎないで、そう、そのまま」
「……ありがとう、昴」
「何のこと?」
「……ううん、何でもない」
 苦労に苦労を重ねて、ついに完成したうさぎりんごは、やはりどこか不格好だった。しかし、それをほおばるリカの笑顔を見た瞬間、それまで懸念していた、恥も体面もすべてがはるか遠くに消えた。
「ほんとうに、誰のせいかしらね」
 そう呟くラチェットの顔もまた、リカのそれと同じくらい輝いていたことを、当の本人は知る由もなかった。




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